ファン・ソンホン監督の現役時代の経歴・生い立ちは?

前任のユルゲン・クリンスマン監督が更迭され、混乱を極めるサッカー韓国代表。

解任から11日後の2月28日に、U-23韓国代表を率いるファン・ソンホン監督が、韓国代表の暫定監督に就任ました。5月までには正式な監督を決定する予定ですが、難航が予想されます。

目次

輝かしいキャリアを持つファン・ソンホン監督について調査!

選手時代にはJリーグ得点王に輝き、日韓ワールドカップでベスト4進出に貢献した韓国の英雄。

指導者としても、浦項スティーラースをKリーグ優勝に導いた実績を持つ名将です。

ウサココ

ファン・ソンホン監督は、どのような手腕で韓国代表を立て直していくのでしょうか?

今回の記事では、ファン・ソンホン監督の現役時代の経歴・指導者としての経歴、またその生い立ちについても迫っていきます。

また、U-23韓国代表監督として目指す目標や、韓国代表暫定監督として抱負についても紹介します。

ファン・ソンホン監督の生い立ち

ファン・ソンホン監督のプロフィール

生年月日 : 1968年7月14日
出生地  : 韓国 忠清南道礼山郡
身長   : 183cm
体重   : 79kg

ファン・ソンホン監督の出身小学校

小学校時代は、親の仕事の都合で転校を繰り返していたという情報がありました。

小学校5年生の時に友人の誘いでサッカーを始めたそうです。

ファン・ソンホン監督の出身中学校・高校

ファン・ソンホン監督は、ソウルにある龍文中学校・高校に通っていました。

ファン・ソンホン監督の出身大学

大学はソウル市広津区に本部がある、建国大学校へ進学しました。

建国大学は終戦後すぐの1946年に設立された私立大学です。

学部は16学部あって、大きい総合大学です。特に有名なのが、獣医・畜産系の学部。

建国牛乳・建国ハムを製造・販売していて、学内に牛の銅像まであり、大学のマスコットは牛なのだそうです。

ファン・ソンホン監督のプロ入り後の経歴

経歴

1990年 ドイツ下部リーグのバイエルン・レバークーゼンに入団
1992年 ドイツ ヴッパーターラーSVボルシアに移籍
1993年 韓国へ帰国し、浦項スティーラースに入団。
1998年 2ndステージから、Jリーグ・セレッソ大阪に移籍
2000年 韓国・Kリーグ2の水原三星ブルーウィングスへ移籍
2000年 Jリーグ2ndステージ途中より柏レイソルに移籍
2002年 ケガのため、シーズン途中に柏レイソル契約解除
2002年 Kリーグ・全南ドラゴンズに移籍
2003年2月 現役引退

1999年には、Jリーグで24得点11アシストという成績を残して、得点王に輝いています。

セレッソに在籍した外国籍選手の中では、リーグ戦通算最多得点記録保持者(36試合/30得点)であり、1試合当たりの得点率も1位です。

1999年には韓国へ帰国してプレーをしますが、思うような結果が残せず、2001年にはJリーグの柏レイソルへ移籍。

2003年まで活躍しました。Jリーグでは、その得点力と攻撃力で多くのファンを魅了しました。

韓国代表としての活躍

1990年~2002年の間に、4大会連続でW杯の代表に選ばれています。

最後の参加となった2002年の日韓W杯では、1回戦のポーランド戦で先制点を決め、韓国サッカー初の大会勝利にも貢献しています。

指導者としての経歴

引退後は指導者の道へ進みました

ファンソンホン監督の指導者としての経歴

ファンソンホン監督の指導者としての経歴

  • 2007年 釜山アイパークの監督就任
  • 2011年 浦項スティーラース監督就任 →2015年退任
  • 2016年 Kリーグ1部のFCソウルの監督に就任→Kリーグクラッシックで優勝

ファン・ソンホン監督は2021年からはU-23韓国代表監督をつとめ、2024年2月に韓国代表暫定監督を務めることが発表されました。

まとめ

ファン・ソンホン監督は、選手としてもたくさんの経歴を持っていますが、指導者としても多くの功績を残しています。

過去の国際大会では日韓の対立が見られるシーンもありましたが、日本での活躍経験もある監督の就任で、日韓で協力してアジアのサッカーの底上げをしていっていただきたいですね

今後も、U-23韓国代表監督と韓国代表暫定監督として、チームを勝利に導く手腕に期待がかかります。

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